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2009年1月

2009年1月28日 (水)

本26・・ライ麦畑でつかまえて

ライ麦畑でつかまえて(J・D・サリンジャー著)

Raimugi現在精神病院にいる主人公が当時を振り返り語る。

大戦後間もないアメリカ。主人公ホールデンが、3校目のボーディング・スクール(名門寄宿学校)を成績不良(怠惰と反抗)で退学させられ、クリスマス休暇の前に寮を飛び出し実家に帰るまでの、N・Yを彷徨する3日間の話。落ち零れや疎外感に苛まれ、家に戻り妹に問い詰められて語った夢がテーマ・・「自分は、広いライ麦畑で遊んでいる子供達が、気付かずに崖っぷちから落ちそうになった時に、捕まえてあげるような、そんな人間になりたい」と。子供の頃は、世界が自分を受け入れない存在とは知らずにいた。ここへの道程としての彷徨が、ストーリーを積み重ねる。単に世間知らずの若者が、大人への通過儀礼としての葛藤を描いたものではなく、理想と現実のアンビバレンスを未熟さゆえに消化出来ず、様々なものが偽物に見え(インチキくさい)たり、とりとめのない良ささえ独断的な言い回しで主張していく様を描く・・若者の目的の喪失感や世の中の矛盾など含め、今も、現代的な孤高のヒーロー感を得る若い読者を惹き付ける。

ジョン・レノンを射殺したマーク・チャップマンは、本書の陰に銃を隠し・・ジョンは既に汚れてしまったと。

サリンジャーはその後、隠遁者として暮らした。

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2009年1月26日 (月)

絵画9・・ジャン=P・カシニョール

ジャン=P・カシニョール(1935~)

フランス画家。パリ美術学校でジャン・スヴェルビィに師事。59年サロン・ドートンヌ会員。メランコリックで幻想美溢れるエレガンス。

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2009年1月25日 (日)

絵画8・・レイモン・ペイネ

レイモン・ペイネ(1908~1999)

フランス画家。装飾美術学校卒業後、広告デザイン。「ブルバルディエール」に挿絵が載り、若い恋人たちを配した「ペイネの恋人たち」で有名に。

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2009年1月22日 (木)

映画45・・きみに読む物語

きみに読む物語(2004・アメリカ)

20061207_206218原作・ニコラス・パークス、監督・ニック・カサベテス、出演・ライアン・ゴズリング、レイチェル・マクアダムス、ジーナ・ローランズ、ジェームズ・ガーナー、サム・シェパード・・

1940年代、身分違いの純愛を貫こうとする恋人同士の行く末が綴られる。

ある夏、ノース・カロライナを訪れた良家の子女アリー(マクアダムス)は、地元の青年ノア(ゴズリング)と恋に落ちる。ノアはアリーに夢を語る。古い農場を買って家を建て直すと。アリーもそれにリクエスト。アリーの親に反対され仲を引き裂かれる。ノアはアリーに365日手紙を書き送るが、アリーの母のもとで止まる。その後ノアは戦争に行き、親友を喪う。戻ると、父親(シェパード)が家と引き換えに農場を買えと。手続きに行った先でアリーを見掛けるが、彼女は婚約していた。ノアは執念で家を建て替え始め、その途中父親が亡くなる。家の完成と共に、燃やそうか売ろうかと懊悩。優しい未亡人と親しくなるが、愛せない。アリーが花嫁衣裳を選んでいる時、彼女の婚約記事の下にノアの家の写真を見、失神。式の前に心の整理をと、アリーはノアを訪ねる。あの日から7年。母は、ノアの手紙の束をアリーに渡し、似たような自分の過去を語り、正しい選択をと。

記憶を喪った老女(ローランズ)。同年輩の男(ガーナー)が彼女に、繰り返し1つの物語を読み聴かせ、束の間、記憶が蘇えることも。ノアは、一緒にいるためアリーの病院に住む。その物語の巻頭に「これを繰り返し読んでくれたら、私は戻ってくる」と、アリーの文字。ノアは3度目の心臓発作の後、夜アリーのもとへ。アリーは意識があり、2人で眠りに就く。アリー「おやすみなさい」、ノア「きっとまた会おう」・・ビリー・ホリディの「I'll Be Seeing You」。2人が初めて踊った思い出の曲。

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2009年1月21日 (水)

映画44・・最高の人生の見つけ方

最高の人生の見つけ方(2007・アメリカ)

51o9avxak9l監督・ロブ・ライナー、出演・ジャック・ニコルソン、モーガン・フリーマン、ショーン・ヘイズ・・

ロブ・ライナーは、スタンド・バイ・ミーの監督でもある。撮影当時、共に70歳のオスカー俳優2人の初共演。

自動車整備工のカーター(フリーマン)、実業家のエドワード(ニコルソン)。共に癌で入院し、同じ部屋で遭遇(エドワードの病院)。お互いに余命半年。カーターがバケット・リスト(棺桶に入るまでにやっておきたいことを書いたもの)を作っているのに興味を持ったエドワードが、リストに項目を追加し実行しようと誘う。躊躇っていたカーターだが誘いに乗ることにし、エドワードの秘書(ヘイズ)を連れ、2人で最高の旅に出発。

リストは、荘厳な景色を観る・・世界一の美女にキスをする・・スカイ・ダイビングをする・・ライオン狩りをする・・涙が出るほど大笑いをする・・赤の他人に親切にする・・など。それぞれの家族と揉め揺れたりもするが、落とし所で収め、短い旅(集約された人生)を満喫する2人。旅から帰り、カーターが先に逝き、エドワードが弔辞を。その後、エドワードも逝き、秘書が高峰の雪山を訪れ、2人の灰を入れた缶を同所に納める、リストと共に。この秘書が好演。

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2009年1月19日 (月)

機織り・・その23

08120733_0045枚で3セット(+無地1本)その3の①

半月に色地を入れ、地模様と小花、露芝、波等をあしらったもの。 

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2009年1月18日 (日)

本25・・悪霊

悪霊・・フョードル・M・ドストエフスキー著

201017_2ネチャーエフ事件・・1869年、スイスの世界革命運動の大立者バクーニンに取り入り、70年までにロシアに大暴動を起こし専制国家を覆滅せよという「ジュネーブ指令」(架空)を携えて帰国し、そのロシア支部を名乗った狂信的な青年革命家で、事件は彼が学生の間に組織した5人組(斧の会)のイワノフをスパイ容疑の転向者として惨殺したもの。 ネチャーエフに心酔していた晩年のニーチェは「悪霊」を反動的とし、作中のキリーロフの人神思想に注目。

キリーロフの人神思想・・神に従わず我意を貫いた時、神は存在せず自分が神となり、完全な我意は自殺である」。キリーロフは成り行きでは有るものの、一身に組織の罪を負い自殺。

ドストエフスキーは、西欧から移入された無神論革命思想を聖書にある「悪霊」に見立て、それに憑かれたネチャーエフ(ピョートル)その他は湖に溺れ死に、悪霊が離れて病癒えた男・即ちロシアは、イエスの足元に坐しているとした。その後疑問が生じ、土着ロシアの怨念の化身・イワン皇子に擬える。始め、主人公をピョートルとしようとするも半ば喜劇性を帯びさせ、病癒えた男としてスタヴローギンを当て嵌める。「悪霊」の真の悲劇性は、イワン皇子が終に出現せず僭称者として破滅した事。退屈と無為に因り、明晰な意識を持って自殺の道を選ぶスタヴローギン。

∇ニコライ・スタヴローギン・・美貌と知力・体力を持つ、徹底したニヒリスト。図らずも、主要登場人物に影響を及ぼす。

∇カルマジーノフ・・文豪気取りの俗物作家。ツルゲーネフがモデル。

∇G(アントン・ラヴレンチェヴィチ)・・新聞記者であり、語り手。

∇スタヴローギンの告白・・文中の「少女を陵辱して自殺に追いやり・・」などの表現により、当時新聞掲載を拒否され原稿も不明に。1921年頃、発見され出版。

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2009年1月17日 (土)

本24・・虐げられた人びと

虐げられた人びと・・フョードル・M・ドストエフスキー著

01800944時代混淆(アナクロニズム)、60年代始め、40年代風。死で始まり死で終わる。感傷と叙情に覆われた、義絶と献身・裏切りの物語。

ペテルブルグの裏町。影のような老人スミス(ネリーの祖父)と老犬の死。そこから連鎖的に、義絶と裏切りに苦しむ過去と現在の二人の女の悲劇が重なり、少女ネリーの死で終わる。人道主義の語り手ワーニャは、瀕死の床でこの手記を綴る。死により、二重・三重に縁取られ虐げられた死・・アリョーシャは、意志薄弱で嘘つき、弁明・裏切り・残酷な事態を引き起こし、誰にも憎まれない。イフメーネフ夫妻は、本来的なロシア精神の持ち主で、ナターシャの両親。ナターシャは、矛盾に引き裂かれ易く傷つき易く、アリョーシャに振り回される。ネリーは、ディケンズ小説からの借り物? この作品の泣かせどころ。ワルコフスキー公爵は、貴族主義(社会体制の中で、政治的反動との結びつき)で金権の非人道(金と快楽)。その目的はそれを得るための前提としての地位(ステイタス)、アリョーシャの父親。マスロボーエフは、金権思想が政治的反動とは結びついていず、虐げる方にも、られる方にも属さず。

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2009年1月16日 (金)

本23・・「クリスティーナ・ローゼンタール」

十二の意外な結末・クリスティーナ・ローゼンタール・・ジェフリー・アーチャー著

05565243ラビは手紙を読んでいた。モントリオールの息子ベンジャミンからの手紙。ベンジャミンは高校でマラソンの選手であった。ユダヤ人!と野次るクリスティーナ。大学でもランニングを続け、応援するクリスティーナ。彼女と付き合うように。彼女の両親が反対し、ただ一度のことで彼女は妊娠しいなくなる。一年が過ぎ、彼女が夫と息子を連れて戻って来るが会えない。ロー・スクールに進学し、トロントで就職。彼女とその息子を見掛ける・・ラビは想う(弁護士になった息子を誇りに思っていたのに、何故和解しなかったのか。周りの噂に惑わされ、自分の偏狭な精神と先見の欠如。正統派ユダヤ教徒といえども、戒律を守ることが息子を失うことを意味するのなら避けて通るべきだった。自分の寛容の精神などその程度)。ベンジャミンはクリスティーナに最後の手紙を出し、躊躇いながらも二人は再燃。再びの妊娠で彼女は離婚し二人は結婚するが、息子は前夫の元に。出産で彼女が死亡(二度目は危ないという医師の警告にも係わらず、彼には告げず全てを失う覚悟で出産)、娘も。父親のラビが駆けつけ、彼女の両親も許しを請う・・ラビへの最後の手紙(妻と娘の、夫・父親として葬られ記憶されたいと)、失意の息子は後を追った。老いたるラビは机の上に手紙を置く。彼は10年間、一日も欠かさず息子の手紙を読み続けてきたのだった。

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2009年1月15日 (木)

本22・・「ブルフロッグ大佐」

十二の意外な結末「ブルフロッグ大佐」・・ジェフリー・アーチャー著

055652431943年トンチャン。イギリス人のムーア大佐が意識を取り戻すと、連合軍の日本の捕虜に。収容所長のサカタ少佐・ワリバシ(腕が細い)は、大佐をイギリスのブルフロッグ(ウシガエル)と名付ける。残虐行為を欲しいままにする捕虜の扱いが無残な中、そうではない少佐と酢豚の酸っぱい方・サワー(ツジ伍長)がいた。戦争が終結し、大佐に指揮権が移り、日本の戦争裁判でイギリス代表に。乱暴極まる裁判の中、無実の軍人達を救ける為に奔走。戦争の現実と平和の偽善を経験し、48年リンカシャーに帰還。2年経ち、聖職に就きサフォークの小村で司祭に。ワリバシとサワーは同じエレクトロニクスで働き数年の内にそれぞれ出世。リンカーン大聖堂の主任司祭になったムーアの所に、サカタから改修費の小切手が届く。次々と必要な度にそれは行われ、気を遣ったムーアは改修費について触れないまま献金を募ることに。ムーアが心臓発作で他界。会社の会長となっていたサカタが現れ、大主教はムーアから彼等の恩義を聞いていたと。サカタは自分の親友で現社長のサワーを紹介し、再び補える多額の小切手を。サワーは、ムーアとは友人である特権に浴さなかったが、40年以上前にムーアの信義を全うする行為へのお返しだと。

・・「かつて一度も全国的規模の寄付を募る必要に迫られなかった聖堂が、イングランドにひとつだけ存在する」

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2009年1月12日 (月)

絵画7・・ノーマン・ロックウェル

ノーマン・ロックウェル(1894~1978)

アメリカ画家。1910年からナショナル・アカデミーで学び、13年ボーイズライフ誌アートディレクター。16年からサタデー・イヴニング・ポストの表紙を描き、43年「4つの自由」(言論の自由、生きる権利、信仰、平和)を発表、77年大統領からメダル・オブ・フリーダム。

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2009年1月 8日 (木)

絵画6・・ミシェル・ドラクロア

ミシェル・ドラクロア(1933~)

フランス画家。1950年からボザールで学ぶ。マルセル・マルソー舞台美術。66年ドイツで教授。86年ハーバード大学350周年の壁画製作、93年帰仏。独自の作風で静かな佇まいのパリの街を描く。

La_nuit_bleue_2 Moulin_rouge_2 Noel_a_montmartre  

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2009年1月 5日 (月)

絵画5・・藤田嗣治

藤田嗣治(1886~1968)

エコール・ド・パリの代表的画家。森鴎外の勧めで1905年に東京美術学校(現・東京芸大)へ。13年渡仏、モンパルナスに住みモディリアーニ等と知り合う。サロン・ドートンヌの審査員。39年帰国し戦争画を描くも、49年戦争協力との批判で再渡仏。55年日本国籍を捨てフランス国籍を取得。57年ド・ヌール勲章、59年カトリック洗礼でレオナール・フジタに。

Cafe Gigolette_2 Paleroyal  

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