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2009年2月22日 (日)

本28・・ドストエフスキーについて

フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー

200pxdostoevsky_18721821年、父親は医師で、次男として出生。15歳で母親が病死。2年後、父親が殺害される(アルコール障害に因る癇癪持ちで、辛く当ったため農奴達の恨み)。ドストエフスキーは父が殺されたことから癲癇を発病したとされるが、疑問視も。その頃から、罪の意識と浪費・賭博に捉われる。44年、川の辺で幻視に見舞われ「貧しき人々」を書く。46年、ユートピア社会主義のサークルに参加し始める。49年、会合でベリンスキーがゴーゴリに宛てた手紙を朗読し、ロシア正教会への批判と政府転覆の可能性があるとしてメンバーと共に逮捕される。銃殺刑が下るも、ニコライ一世の恩赦(若いことと、未遂で)により、シベリア送りに。この経験が「死の家の記録」。4年後、兵役に付き、改心を公にするも、その後も皇帝権力の監視下に。59年、ペテルブルグに戻る。その頃ロシアはクリミア戦争で屈辱的な敗北を喫すが、帝政ロシアの弱体と後進性が理由と云われる。社会は、農奴解放への歴史的予感に湧き出す。

ドストエフスキーは、恋敵のいる奪われる予感の中でしか愛せないマゾヒストであった。64年、苦痛が快楽であるという「地下室の手記」を書き、これは転向の書とされる。ある種の理論が人間の意識や行動に及ぼす影響力により、社会の犠牲者や意識的な復讐者が生まれるとし、66年「罪と罰」を発表。68年「白痴」、71年「悪霊」と続き、78年、未完の書と云われる「カラマーゾフの兄弟」へ。81年、持病の肺気腫による喉からの出血で死亡。享年60歳。

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