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2009年6月14日 (日)

本42・・復活

復活・・レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ著

51fs07ya31l__sx230_友人から見聞したエピソードで、自身も似た過去を持つため執筆に至る。単なるネフリュードフとカチューシャの物語ではなく、諸々の世俗的な権威(裁判所、元老院、官庁、刑務所)の仮面を剥ぎ、その偽善性を摘発し、上流と下層階級の相対性も描く。

青年貴族ネフリュードフは、軽はずみに叔母の小間使カチューシャと関係。ネフリュードフが去った後、妊娠したカチューシャは追い出され、子供も喪い自ら娼婦となり、10年後、客の商人を毒殺した咎で法廷に。奇しくもネフリュードフはこの裁判の陪審員。カチューシャは無罪だったが、不運な手違いで有罪となりシベリアへの徒刑に。カチューシャに不幸を齎した基と自覚したネフリュードフは、贖罪のため、彼女と共に旅しその更正に尽力する積りで、自身の生活を一変し判決を覆そうと奔走。過酷な旅に同行する中、様々な場面や人々に触れ思いを新たにするネフリュードフ。下った判決に特赦が与えられたカチューシャは、ネフリュードフを再び愛し始めるが、自分に因って彼の一生を台無しにしてしまうとし、彼を解放するべく政治犯のシモンソンと共に行くと告げる。煩悶の後、ネフリュードフは自らの更正の道標を見出す・・人間精神の「復活」。

ネフリュードフの悟り・・罪の無い者はいない。従って、他人を罰したり矯正する事は出来ない。犯罪者を罰して犯罪は絶滅したか? 逆に、判事・検事・看守等の犯罪のため増大。社会や秩序が存在しているのは、合法的犯罪者(裁いたり罰したりする者)がいるからではなく、寧ろ、堕落した現状の中で人々が互いに愛し憐れみ合うからだ。悪人でありながら悪を正そうという、不可能な事をやろうとするために悪が絶えない矛盾。人々を苦しめる悪から救われる唯一の確実な方法は、常に自分を罪深い者として自覚し、他人を罰したり矯正する資格の無いことを認めればよい。

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