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2013年5月

2013年5月27日 (月)

本249・・背徳者

背徳者・・アンドレ・ジッド著

30428093_2清教徒的な古典学者ミシェルが、新妻と共にアルジェリアに遊び、そこで胸を患ってその予後、体力の恢復と共にこの地の強烈な太陽の光の下に肉感の目覚めを体感。今までの書斎生活が単に観念的な幻影に過ぎないことを知り、素朴な肉体賛美者(肉感性の発動対象が黒人少年)に。

ミシェルは帰国後も書斎にばかりは籠らず、学者として講座を持ち農地経営もするが、アフリカで憑かれた太陽と裸の肉体への憧れが去らない。遂にこの夢に唆されて再び妻と曾遊のアフリカへ旅立つが、待っていたのは陰鬱な天候であり、曾て素晴らしい褐色の肉体を持ったアラビア少年は既に長じて生活の重荷に疲れている。前回親身に介抱してくれた妻が病む(流産の後産褥に苦しみ、以前ミシェルから伝染した結核が発病)が、ミシェルは幻滅による裏切りで陶酔を獲た時より一層拍車を掛けられ、どこまでも新たな陶酔を追って旅を続ける。この強行軍の犠牲になり、献身的で従順な妻は死ぬ。その遺骸を葬ったミシェルは、今や常夏の国で新たな対象も持ち、篤学な清教徒の昔に返るには神経の繊細さを失い茫然とする。

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2013年5月20日 (月)

本248・・人はすべて死す

人はすべて死・・ボーヴォワール著

517cvb474el__sx230_雄大な歴史の流れを背景に、無限に自分の理想を追及する不死の男フォスカが、自由とは何かを探る旅。「不死の薬」を飲んだフォスカは、戦いにも倒れずペストにも冒されないが、人類の歴史を眺める彼の深い悲しみは癒されるのか。

フォスカは永遠の生命を手に入れる。理想を追い、やり方を変えながら無限に試みられる。云わば「存在」を選び、不条理な実存(命に限りがあること)を止めたのだが、意外にも彼は自由を失い生ける屍に。

13世紀から現在に至るヨーロッパを中心とした人間の歴史の中で、終わり無く繰り返される戦と束の間の平和。進歩、自由、政治に於ける個と全体、民主主義とマキャベリズムがペシミスティックに描かれる。

周りの人間が死に行く中、死ねないフォスカは何世紀にも渡り儚い希望を追い、その度に失望する。人を幸福にすることも出来ず、自らもなれない。命を懸けることも出来ず、何処にも居ず、過去も未来も現在も持てない。何も欲せず、誰でも無い。自身の手は永久に空で、一人の異邦人、一人の死者に過ぎない。誰一人居なくなった世界の悪夢、もう眠れない。

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2013年5月16日 (木)

絵画236・・ウラジミール・Paroshin

ウラジミール・Paroshin(1950~)

ロシア画家。1990年からモスクワの画家組合に参加。幼い時から孤独を愛したという詩的風景を描く。

Rail SummerTo_the_sea  The_dream Church

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2013年5月12日 (日)

本247・・ダブリン市民

ダブリン市民・・ジェームズ・ジョイス著

20090512_541890_2体面を取り繕うヴィクトリア朝の道徳主義の残滓、世紀末の倦怠と停頓の余韻、イギリスの長い支配に対するアイルランド人の屈折した精神構造、古い歴史を持つローマ・カトリック教会の威光・・等々が、様々に絡み合いダブリン市民のしがない暮らしの隅々にまで浸透している。

風刺の精神で描かれた15編だが、当初は表現が不穏当、愛国的でない、市民を侮辱等と批判された。ダブリンを題材にし続けるのは「この都市が無力状態の中心だから」と。

陰鬱で閉塞的なダブリンから希望に溢れる外界への脱出を夢に描きながら、叶わず挫折していく人々の生き様を、人生の諸相に於いて捉えた短編集。

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2013年5月 9日 (木)

絵画235・・アントニエッタ・ヴァラッロ

アントニエッタ・ヴァラッロ(?~)

イタリア画家。Voltolino Fontaniに学び、その後Luciano Torsiに18年間師事し、1976年から受賞。マキャベリアカデミー等で教鞭。

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2013年5月 7日 (火)

本246・・アレクシス

アレクシス・・ユルスナール著

30887777_2副題・・あるいは空しい戦いについて

貧しい貴族の家門に生まれた若き音楽家アレクシスが、一人の子供さえ生したにも関わらず、二歳上の美しく善良な妻モニックの許を去ろうとして書き残す手紙。

その一人称の言語表現は、思慮深く慎重な緩慢さや、自身を捉えた不安と拘束の網を解こうとする辛抱強さ、官能性への敬意を守ろうとする遠慮深さ、精神と肉体を和解させようとする意図が覗えるが、己の徳を良しとする認識には未だ達していない。

アレクシスの内面の性向は不安と秘密の度を弱めていず、ある種の階層の人々を支配する相対的な気安さも、今なお大衆の中では多くの誤解や偏見を産む。完全に女性達に支配されていた清教徒的な幼年時代。愛とは無縁に味わった快楽への偏愛や後を引く執着への警戒。彼は妻の許を去る理由として、生き続けるための自由、嘘で汚されない性的自由の探求を挙げる一方、結婚という既成の安楽さや社会的対面から逃げ出したい思いも。

結婚以来触れていなかったピアノ、渇きを癒す音楽を求め弾き出すアレクシス。「あらゆる可能な音が鍵盤の中に眠っているように、この手の中には未来の仕種が含まれている。その手は肉体の周りで、抱擁のたまゆらの喜びを結び、目に見えぬ楽の音の形を撫でる」。

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