音楽9・・ミーナ
ミーナ・・(1940~)
本名・・アンナ・マリア・マッツィーニ
イタリア・カンツォーネ歌手。1962年、男児を出産するも私生児問題が・・。クラシックの声楽を学んだ、華やかで力強い歌声である。ダリダの「甘い囁き」もこちらが本家であり、映画「太陽は一人ぼっち」の主題歌も彼女である。「月影のナポリ」「砂に消えた涙」もカバーされて有名だが、「別離(わかれ)」がお気に入り。
ミーナ・・(1940~)
本名・・アンナ・マリア・マッツィーニ
イタリア・カンツォーネ歌手。1962年、男児を出産するも私生児問題が・・。クラシックの声楽を学んだ、華やかで力強い歌声である。ダリダの「甘い囁き」もこちらが本家であり、映画「太陽は一人ぼっち」の主題歌も彼女である。「月影のナポリ」「砂に消えた涙」もカバーされて有名だが、「別離(わかれ)」がお気に入り。
(ラヴェル)
モーリス・ラヴェルの作曲したバレー音楽である。オーケストラの魔術師と呼ばれている。もとはスペインゆかりの民族舞踊であった。
バレー演者のイダ・ルビンシュタインが、自分の為にラヴェルに依頼し作曲された。初演は1928年、パリのオペラ座で。その音楽は・・同一のリズムの中で、2種類のメロディが繰り返されるものである。モーリス・ベジャールの「ボレロ」やクロード・ルルーシュの「愛と哀しみのボレロ」、その他CMなどにもよく使われている。先の2作品で演じたジョルジュ・ドン・・アルゼンチン生まれで、ヨーロッパ・バレー団を結成するものの、1992年エイズ死。
http://jp.youtube.com/watch?v=oEQnJ6x2iMw
ショパンの「ボレロ」は、ピアノの独奏曲である。
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ダリダ
イタリア移民のエジプト(カイロ)育ち。
デビューは1956年、ポルトガルのファドの女王アマリア・ロドリゲスの「暗いはしけ」。その後「バンビーノ」を出す。1960年からジューク・ボックスの女王として、「大脱走のテーマ」など。1970年からポップ・ディスコの時代、アラン・ドロンと「パローレ・パローレ」を歌い、「恋するジジ」など。1980~87年バラードの時代、「雨のブリュッセル」など。
少し斜視気味で、それがミステリアスな眼差しを生んでいる。声質は良く通るいわゆる綺麗な声である。
4回の結婚をし、その内3人が自殺している。1987年、自らも「許して下さい、人生は辛すぎる」とウィスキーをあおり睡眠薬自殺した。
モンマルトルには、ダリダ広場がある。
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アルゼンチン・タンゴ
1880年、アルゼンチンのブエノスアイレスとウルグアイのモンテビデオに鋏まれるラプラタ河が大西洋に注ぐ河口地帯でタンゴが生まれた。多くの移民とさまざまな人種の中で男同士が荒々しく踊ったのが始まり。いつしか娼婦を相手に踊り、その後男女で踊るようになった。
1920年、ヨーロッパやアメリカに輸入されパリで流行ったのがコンチネンタルタンゴ。それがアルゼンチンに逆輸入。それ以前の1917年、タンゴの神様と言われたカルロス・ガルデルが「我が悲しみの夜」を歌い、人生の影の部分を描写し哀愁のあるものとなった。1971年、映画「暗殺の森」で始めて映像化される(女性二人のダンス)。その後「ラストタンゴ・イン・パリ」、「ヴァレンチノ」(ヌレエフがガウチョスタイルで踊った)・・
1983年、タンゴダンスの「タンゴ・アルゼンチーノ」の公演が一世を風靡した。その後の映画に「ネイキッド・タンゴ」、「エビータ」、「ムーランルージュ」などが続く。
アルゼンチン・タンゴではバンドネオンが使われ、コンチネンタル・タンゴはアコーディオンが使用される。
アドリアーナ・ヴァレイラ・・ハスキーボイスの持ち主で一度聞いたら忘れられなくなる。タンゴの歌といえば何といっても「ラ・クンパルシータ」である。
時に本場のアルゼンチン・タンゴの歌とダンスに触れると、その切なくなるほどの激しさと感情の高揚に包まれる。
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ボサノヴァ・・(Bossa Nova)
ボサノヴァには新しい感覚・傾向・才能などの意味があるそうだが、ブラジル音楽のジャンルの1つでサンバの一種である。1950年代後半、リオのコパカバーナやイパネマの海岸地区で生み出された。
その誕生の中心となったのが、作曲家のアントニオ・カルロス・ジョビン、詩人のヴィニシウス・ヂ・モライス、歌とギターのジョアン・ジルベルトの三人・・の「想いあふれて」。そしてジョアンの妻だったアストラッド・ジルベルトが、英語版で歌ったのが「イパネマの娘」である。
その後、数多の歌手や歌が引き継がれ、セルジオ・メンデスへと。
ブラジルとフランス合作の「黒いオルフェ」などで、ボサノヴァが浸透し、一説によるとビートルズのロックがボサノヴァを殺したとも言われている。
http://www.youtube.com/watch?v=fih-TDy_8UE
おいしい水、マシュ・ケ・ナダ、メディテーション、コルコヴァード、ジンジ・・・雨の日の昼下がり、ボサノヴァを聞きながら読書したりうたた寝するのは無常の贅沢・・
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ファド・・に想う
Fadoはポルトガルの民族音楽ですが、「運命」とか「宿命」という意味が有るそうな。そのメロディは人生の切なさ・儚さ・メランコリー・旅情・迫力等を感じさせる。イタリアのカンツォーネ、フランスのシャンソン、アルゼンチンのタンゴ、ブラジルのボサノヴァに比する。
遡ること大航海時代、ポルトガル人が植民地ブラジルへ連れて行ったアフリカ人奴隷の踊りがリスボンに逆輸入されたもので、悲しげな舞曲でありながら極めて官能的な踊りだったそうだ。その後、歌が強調されるようになって叙情的な歌謡に。19世紀、栄光の植民地時代が終わり、ポルトガルにとっては黄昏の時代へ。その暗い世相の中、最下層の下町の石畳に響くように安酒場や売春宿から歌いだされ、荒んだ生活や辛い暮らしの憂さを晴らすべく想いのたけを歌に迸らせ・・歌い手をファディスタというが、これも「ならず者」とか「売春婦」だという。19世紀の伝説的な歌い手「マリア・セヴェーラ」も。
「アマリア・ロドリゲス」(写真)は国民的歌手でフランス映画にも使われ、ファド文化が頂点に。ブンチャ・ブンチャという2拍子がファドの命であるが、ポルトガルには国民感情として「サウダーデ」という言葉があって、これは「失われたものを愛おしみ、帰らぬものを悼む」という意味だそう。このような、ギターの音色と相俟って切々とした感情がファドの底流に流れていて、それがストレートに伝わってくるのが・・何とも。
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今日はヴィッキー・カー(Vikki・Carr)の歌声について・・
1960年代から第一線で歌い続けている彼女に敬意を表し、一ファンとしての想いを少し書いてみたい。一番最初に彼女の歌声を耳にしたのは随分前の事で、いつ頃だったかちょっと記憶が曖昧だが、曲は「How Can You Mend A Bloken Heart?」だった。そして、「Superstar」、「So Far Away」と続く。
はっきりいって、その時していた事をド忘れする位ショックを受けた。歌唱力はここで敢えて言うまでもないので省くが、そのハスキーで伸びやかな美声に、ホント痺れてしまったのです。たまたまその時私が持っていたレコードでの歌がそういう歌い方だったのかもしれないけど、「So Far Away」のラストから、彼女の歌声がどう聴いても泣いているのです。ンなわけで今でもこの曲を聴くと、ついこちらも貰い泣きしてしまうほどシンパシーを感じ切なくなってしまうのです。そして、あの日あの時彼女の歌声に触れられた事に感謝、の一言あるのみ。
他にも「It Must Be Him」とか「For Once In My Life」・・などあるのだけど、私にとっては、やはり前の三曲には換えがたいと言うしかない。彼女は元々メキシコの人だそうで、スペイン語の曲のアルバムも沢山出している。こちらの方はまだ殆ど聴いていないので、「Adolo」位しか好きな曲としては書けなくて残念。また、いずれ。もっと時間を作って、彼女の歌(ボサノバ・・とか大好きなので)を溺れるほど聴いてみたい・・早くしなきゃ・・
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ホテル・カリフォルニア(1976 イーグルス)
1960年代のアメリカ、ハリウッド(アメリカン)ドリーム、ベトナム戦争、ヒッピー文化の終焉、夢と現実の落差、成功することが自由を奪う、ある日その入り口に立った時チェックインするかしないか・・歌詞に込められた意味については元来語られてこなかったようだが・・自分の夢にどっぷり嵌って現実が見えなくなってしまうと、いずれ大きなツケを払う時が来る・・というメッセージがあるのだそうな。初めてこの曲を聴いたのが何時かはまるで思い出せないのだが、まずメロディに惹かれ、イーグルスというバンド名を知り、歌詞の意味はどんなだろう?と随分経ってから辞書片手に訳してみたこともあるが、訳詩もあるので、その比喩的で不思議な歌詞の中で、気になった言葉たちについてちょっと感じたままを・・
「思い出を心に刻もうと踊る者、全てを忘れるために踊る者」・・むしろ虚しく時代に踊らされているかのよう・・ 「口実の許す限り、せいぜいお楽しみください」・・不本意ながらも自分に言い訳し・・ 「誰もが自分の意思で囚われの身となったものばかり」・・思い込みの波に押され、突き動かされるように・・ 「鋭いナイフを突き立てても、自身の内なる獣を殺せない」・・自分に対する、いきり立つ想いと忸怩たる想い・・ 「元の場所に戻ろうと出口を求め・・自分の運命を受け入れなさい、チェックアウトは自由ですが立ち去ることは出来ません」・・逃れられない現実があり、堪らなく逃れたい閉塞感の狭間で・・自由とは・・人は・・
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